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ようこそ  ゲスト さん ログイン 入力補助 English Top ブラウズ 著者 出版年 雑誌名 資料種別 ランキング アクセスランキング ダウンロードランキング その他 成果物の登録方法 大東文化大学図書館HP このアイテムのアクセス数:285件(2024-04-29 07:38 集計) 閲覧可能ファイル  ファイル フォーマット サイズ 閲覧回数 説明 AA12054341-20210322-003 pdf 4.03 MB 282 論文情報 タイトル 明治期における棄児・幼弱者たちの処遇と救済の実態 タイトルヨミ メイジキ ニオケル ステゴ ヨウジャクシャ タチ ノ ショグウ ト キュウサイ ノ ジッタイ タイトル(別表記) The Situation of relief and treatment related to abandoned children, orphans and children without supporting by relatives after middle of Meiji Era 著者名 著者/ヨミ/別表記 大杉, 由香 オオスギ, ユカ OSUGI, Yuka 主題 棄児、孤児 恤救規則 孤児院 極貧児童、幼弱 棄児養育米給与方 抄録・概要 日本における近代化は、前近代に存在した社会的相互扶助関係を弛緩させ、家族による自助努力を強要したが、仮にそれが不可能であっても公的扶助に頼ることは困難であった。それは1874年に成立した恤救規則が排貧主義を貫き、救済権も国による救済義務も認めていなかったためで、その背後には広範に残っていた農村社会の存在と人々の生活を犠牲にしたうえでの産業化・軍事化の推進があった。他方で多産多死型の当時の日本社会では、社会的養護の対象として最も注視されたのは家族による養護が難しい子どもたちの存在であった。それ故に近代日本ではキリスト教系団体を中心に私的な施設福祉が孤児院をはじめ、児童救済を軸に展開され始めたが、そこには明治三陸海嘯等の災害、経済不況、日露戦争等が影響していた。ただ施設福祉の多くは大都市近辺に集中する傾向があったため、そのことで遺児等は出身地からこれらの地域へと移動を余儀なくされることとなった。さらに東京とそれ以外の地方では施設のみならず、児童救済の金額にも大きな差があり、特に東京の場合、棄児養育米給与方(国費)に加算した地方費の手厚さが顕著であった。ところがそれに対し、東京以外の全国では地方費補助が貧弱であったうえ、金額の低い恤救規則による救済が行われることも少なくなく、いわば東京とそれ以外の救済格差は当時の子どもたちから見ても判るほど、歴然としたものであった。なお、従来の先行研究では、棄児養育米給与方と恤救規則の相違について、さほど注意が払われてこなかったが、前者だけでは最低生活以下の補助とは言え、それでも後者よりはやや金銭的に優遇されたと見られる一方、後者は成人であっても、児童並の支給に留まったケースが多々あったことが本稿では明らかにされる。 掲載誌名 環境創造 NCID AA12054341 ISSN 13468758 巻 27 開始ページ 53 終了ページ 86 刊行年月日 2021-03-22 言語 日本語 資料種別(NII) 紀要論文 コンテンツの種類 紀要論文 著者版フラグ publisher ホームへ戻る © 2024 Daito Bunka University, All rights reserved       お問い合わせ先 リポジトリ担当 [email protected]

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